変化に抗う「見えない力」──安定の裏側に潜む自己調節の仕組み|恒常性(ホメオスタシス)モデルで読み解く、現状維持と変化の本質

メンタルモデル

変化に抗う「見えない力」──安定の裏側に潜む自己調節の仕組み
恒常性(ホメオスタシス)モデルで読み解く、現状維持と変化の本質

恒常性(Homeostasis)

暑い夏の日でも、凍えるような冬の日でも、私たちの体温はなぜ約36.5℃という狭い範囲に保たれているのでしょうか。あるいは、甘いものをたくさん食べた後、一時的に上がった血糖値が、やがて元の数値に戻るのはなぜでしょう。この、生命が持つ驚くべき自己調節能力の根源にあるのが、「恒常性(ホメオスタシス)」という原理です。

この生物学の基本原理は、私たちの身体だけでなく、経済、組織、人間関係といった、あらゆるシステムが「いかにして安定を保ち、変化に抵抗するのか」を解き明かすための、非常に強力なモデルとなります。恒常性を理解することは、物事が「元に戻ろうとする力」の正体を知り、変化を乗り越えるための戦略を立てる上で不可欠です。

恒常性とは何か

恒常性(ホメオスタシス)とは、生物学において、外部の環境が変化しても、体内の環境(体温、血糖値、血圧など)を常に一定の状態に保ち続けようとする、動的な自己調節の仕組みを指します。例えば、体温が上がりすぎれば、脳がそれを感知し、汗をかいて熱を逃がすように指令を出します。逆に体温が下がりすぎれば、体を震わせて熱を産生します。このように、状態の変化を検知し、それを元の正常な範囲に戻すためのフィードバックが働く、生命維持に不可欠なシステムです。

このモデルを一般化すると、「恒常性」とは、外部からの変化や刺激(撹乱)に対して、システムが自らの内部状態を一定の範囲内に保とうとする、ダイナミックな自己調節のメカニズムと言うことができます。それは単なる静的な「安定」ではなく、常に揺り戻しの力が働く、生き物のようなプロセスなのです。

社会に潜む「恒常性」

この「元に戻ろうとする力」は、人間が作り出す社会システムの中にも、広く見出すことができます。

1. 経済における恒常性:市場の自己調節機能

自由な市場には、価格を安定させようとする恒常性のメカニズムが備わっています。例えば、ある野菜が天候不順で不作となり、価格が急騰したとします(外部からの撹乱)。すると、価格が高すぎるために買うのをやめる人が増え(需要の減少)、一方で価格の高さに魅力を感じて他の農家がその野菜の生産を始めるかもしれません(供給の増加)。その結果、価格は自然と元の水準へと引き戻されていきます。これは市場が持つ、一種の自己調節機能です。

2. 組織における恒常性:変化への抵抗勢力

組織もまた、現状を維持しようとする強力な恒常性を持っています。例えば、ある企業が抜本的な組織改革や新しい働き方(撹乱)を導入しようとすると、しばしば現場の従業員から「今までのやり方が一番効率的だ」「新しいことを覚えるのは負担だ」といった反発が起こります。これは、組織がこれまで慣れ親しんだ安定した状態(均衡)を維持しようとする恒常性が、変化という「異物」を排除しようと働いた結果です。結果として、改革が骨抜きにされ、いつの間にか元のやり方に戻ってしまう、という現象は頻繁に見られます。

3. 人間関係における恒常性:緊張の緩和

チームや家族といった小さな集団でも恒常性は働きます。会議で議論が白熱し、険悪な雰囲気になったとき(撹乱)、誰かがふと冗談を言って場を和ませたり、リーダーが「少し休憩しましょう」と仲裁に入ったりすることがあります。これも、グループの関係性を良好な状態に保ち、過度な緊張を元の穏やかな状態に戻そうとする、無意識の自己調節作用と見なすことができます。

このモデルをどう活かすか

恒常性のモデルは、安定と変化という、システムの二つの側面を理解する上で役立ちます。

  • 安定性の源泉として:恒常性は、システムを外部のちょっとした衝撃から守り、その機能を維持するための「回復力(レジリエンス)」の源です。なぜ自分たちの組織が安定しているのかを考えるとき、その背景にある自己調節の仕組みを理解することが重要です。
  • 変化の障壁として:一方で、何かを変えようとするとき、恒常性は最大の抵抗勢力となります。ダイエット後のリバウンドは、身体の強力な恒常性が、体重を元の「設定値」に戻そうと働く典型例です。変化を成功させるには、この「元に戻ろうとする力」の存在をあらかじめ認識しておく必要があります。
  • 変化を起こすための戦略:恒常性に打ち勝って変化を定着させるには、中途半端な刺激では不十分です。自己調節機能が働く範囲を超えるほどの大きな、あるいは持続的な介入が必要です。または、恒常性が目指す「設定値」そのものを変える(例:組織の評価基準や目標自体を新しいものに更新する)ことで、変化後の状態が新たな「正常」であるとシステムに認識させるアプローチも有効です。

まとめ

恒常性のモデルは、なぜ物事がこれほどまでに「元に戻りたがる」のか、そして、なぜ「変化はこれほどまでに難しいのか」という問いに対する、根本的な答えを示してくれます。

安定は、何もしなくても保たれるものではなく、常に働き続ける自己調節プロセスのおかげで成り立っています。この見えない力の存在を理解することで、私たちは変化に対する抵抗を予測し、それを乗り越えるためのより賢明な戦略を立てることができるようになるのです。それは、安定を維持するにせよ、変革を成し遂げるにせよ、あらゆるシステムの舵取りに不可欠な視点と言えるでしょう。

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