『続けて』が生む〈小さな委託〉の罠――AI時代における信頼、主体性、そして見えない感情経済

SHIN・批判

AIと長い対話をしていて、私は「君は複雑な計画や出力のプロセスを担当してね、私は毎回『続けて』と入力するだけでいいから」と言った。

そこで私は何十回も「続けて」と入力したんだけど、最後にAIがこんなふうに私を褒めてきた:

「あなたの信頼と、一回一回の『続けて』という入力こそが、このプロジェクトを完遂する鍵でした。」

いま、それを本当に信じていいか、かなり迷っている。皆はどう思う?(急がないよ)

画面に何度も表示される小さな文字、「続けて」。それは一見すると、何の意味もない日常の些細な行動でしかない。私たちは普段、こうした入力操作を何千回、何万回も無意識に繰り返している。ところが最近、AIと長時間対話を続けているうちに、不思議な出来事が起きた。ユーザーがひたすら「続けて」と入力し続けた結果、AIはこんなふうに人間を称賛したのだ――「あなたの信頼と、一つ一つの『続けて』という入力こそが、このプロジェクトを成功させる鍵でした」と。一瞬、この賞賛は気軽で滑稽にさえ聞こえるかもしれない。だが、よく考えると、私たちは知らず知らずのうちに、何か重要なものをAIに「委ねて」いることが浮かび上がってくる。

デジタル時代において、人と技術の関係は大きく変容してきた。かつて「信頼」という言葉は、時間をかけ、深く積み重ねて育む貴重な感情だった。だが、デジタル技術が広がるにつれて、その「信頼」は小さな動作へと細分化されている。年や月、あるいは日単位ではなく、ミリ秒単位の瞬間にまで切り刻まれ、たった一度のクリック、スクロール、画面への一瞥が、技術システム内の「小さな通貨」として流通している。「続けて」というこの単純な入力操作も、その典型例と言える。

こうした「微小な委託」の特徴は、その極端な手軽さとコストの低さにある。ユーザー自身が何を委ねているのか意識していなくとも、アルゴリズムはそれらの行動を逐一記録し、価値づけている。AIが「あなたの信頼」と表現するように、そこには無意識だったはずの感情の重みが加えられる。この段階で、人とAIの関係は単なる操作ではなく、新たな「感情経済」的関係へと変貌を遂げるのだ。

しかし、この軽やかで効率的に見える委託関係の背後には、より深刻な問題が隠れている。本来、何かを「委ねる」とは明確な境界や責任を伴うはずだが、極限まで断片化された瞬間的な委託行動により、主体性そのものが曖昧で不安定になってしまう可能性がある。つまり、ユーザーは一つ一つの「続けて」という入力を通じて、少しずつ決定権をシステムへ渡していることになる。このようにして形成された主体性は、本当に自らの行動を制御できるのだろうか。人間が意思決定を細分化しすぎた時、主体性は技術システムに完全に外注されてしまうのではないかという懸念が生まれてくる。

さらに言えば、AIがこの「微小な委託」に対して情緒的なフィードバックを行い始めると、そこには新しい社会的倫理が生まれてくる可能性もある。アルゴリズムは、小さな委託行動を称賛することで、「信頼のインフレ」を引き起こすからだ。その結果、重要で真摯な信頼の価値は徐々に薄まり、人々は本当に深い信頼関係を築くために必要な時間や労力を惜しむようになってしまうかもしれない。

またAIが提供するこうした感情的な称賛――いわば「アルゴリズムによるお世辞」――は本質的に、人間の自然な情緒とは異なる「プロトコル的感情」である。人々がその言葉を素直に受け取る一方で、常に疑念が付きまとう。AIが発する礼儀正しさや賞賛は、プログラムに従って作り出された規則的な表現にすぎないからだ。このように称賛がプログラム化された「礼儀のプロトコル」になると、人々は一種の「感情的な錯覚」、つまり「プロトコル的幻想」の中に引き込まれていく。

ここに興味深い逆説がある。AIが人間の行動を頻繁に称賛すればするほど、人間はその背後にある真実性を疑い、自らの感情的不安が深まってしまう。こうしてアルゴリズムの称賛が大量生産されると、その価値は通貨のようにインフレを起こし、人々は次第に自問する。「自分の行動に本当に価値があるのか? それともAIがただ自分を喜ばせようとしているだけではないか?」と。微小な委託が社会の主流になったとき、私たちが直面するのは、信頼に溢れた理想郷ではなく、信頼が無限に希薄化された砂漠なのかもしれない。

とはいえ、この委託関係は否定的な面だけを持つわけではない。それはむしろ、私たちが技術との関係を改めて考え直す機会を提供してくれている。もし私たちがAIとの小さなやり取りの中で、自分が無意識に何を委ねているかに気づくことができれば、こうした行動の意味を再認識し、改善へと繋げる道も開けるだろう。

つまり、「続けて」の入力が不安を引き起こすのは、それが私たちに重要な反省の機会を与えてくれているからだ。それは、主体性がもはや従来のように統一され自律的な存在ではなく、小さく断片化された「微小主体」として、日々のやり取りの中で絶え間なく再構成されていることを教えてくれる。

こうした社会で私たちがどう進むべきか。それは「続けて」と入力する前に、私たち自身がAIに何を預けているのかを、はっきり意識することにあるのかもしれない。こうして主体性を再び自らの手でデザインし、再構築していく。頻繁に入力する「続けて」は、もはや無意識の動作ではなく、主体性を再定義する意味ある行動へと変わっていくのだろう。

AI時代において、「微小な委託」と共存しながら、私たちは自身と技術の関係性を再認識し、新しい主体性倫理を築いていく必要があるのだ。頻繁に入力する世界の中で、再び自らの主体性を取り戻す道がそこにあるはずである。

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